8月25日(日)

ホームページの打ち合わせに、ホームページプロデューサー徳田氏に朝から電話。
あれこれ話していると携帯が鳴った。

“公衆電話”

番長三上氏だ。

徳田氏の電話を一旦切って携帯に出る。

「田舎帰ったお土産買ってきたからさ〜、これから近くまで行くから出てこれる?」

急いで着替えて近くの公園に待ち合わせ。

「これは田舎のお土産ね。天越センセ、今度海のほう行っちゃうっていってたからこれ選んだの」

プラスチック製のグラスに入った小さな海の模型。
「浮かんでるクリオネがミソね」
「ありがとう、新居のトイレに飾らせてもらうよ」
「トイレかよ!あとね、これこれ。凄いんだから。見てよ見てよ。100万するぜ」
番長が出したのはフォークリフトの携帯ストラップ。
「フォーク買わなきゃもらえないレアもんだぜ〜。俺も一個しかもらえなかったんだけど、泣いて頼んでセンセの分ももらってきちゃったよ。“いくら三上ちゃんの頼みでもなぁ〜”って渋い顔されながらもね」
開業祝いだと言って、私に差し出す。

キャー、なんて素敵なストラップなんだろ。
こんなデザイン絶対他にないよね。
携帯にはストラップをしない主義なので、つけることはしないけど、大切にしたい一品だ。
なにより番長三上氏の気持ちがありがたい。


「新居はね、このへん」
地図を片手に番長に説明。
若い頃、その辺の海岸でブイブイ言わしてた彼は、懐かしそうに当時を語る。
「バイクで海辺流して花火して、朝までその辺でたむろして…本当近所迷惑だったよなー。最近俺のマンション周辺もくだらねぇガキどもがブンブン言わせて走っていくんだけどさ。うるせーバーカ! って怒ってたら、“あんたもやってたんでしょ”ってカミさんに言われちった」
「本当さいて〜だね」
「さいて〜だよなぁ。馬鹿だよなぁ〜」
「いつからそれが馬鹿だって気付いたの?」
「いつだっただろ。大人になったんだよな〜」
「私は君がそんなことしてた年頃から、そーゆーの愚かだと思っていたけど」
「普通そうだよなぁ〜。迷惑だよなぁ〜」

「でもね、新居、幼稚園の隣なの」
「マジで?! なんでそんな最悪なとこ選んだのよ。もう大変だぜ〜、うるさくてうるさくてノイローゼなるぜ〜」
「なんとかなるかなって思ってたんだけど、実際昨日体験したらブルーになった」
「なんとかならないならない!もう一日中ずっとだぜ。ギャーギャー。うちなんか3人子供いるから慣れてるほうだと思うけど、それでも他人の子騒いでたら殴りたくなるもん」
「私幼児惨殺事件起こすかも…」
「ああ起こす起こす。間違いないね」
「幼稚園ってどうやったら潰れる?」
「そうだな、天越センセが保母さんなって虐待すれば評判落ちるんじゃねーの?」
「中から責めるか」

うー。
ブルーになってたところ、余計ブルーになってきた。
塩害と園害。
ダブルエンガイが私を不安にする。

「引越しは?」
「昨日からいろいろ電話して見積もりしてもらってる。今日○○引っ越しセンターが6時から来る」
「とにかく他社と闘わせたほういいよ。俺もこないだの引っ越し、めちゃめちゃ叩いたもん」
「そりゃああなたに責められたら安くするわな」

あーだこーだと語り明かし、気付けば四時間あっという間に過ぎ去った。
「やべ。カミさんとガキども迎えにいかなきゃ」
温かな風を残し、いつものように三上氏は去って行った。

本当、いつもながらいい人だ。
番長とも、こうして“時間あるから”ってふらりと会うこともなくなるんだ。
遠くはない。
同じ首都圏、会おうと思えばすぐ会える。
だけど日常に、彼らの影はなくなるんだ。

慣れ親しんだこのエリアを、またも私は去っていく。

渡されたフォークリフトのストラップを見てふと思う。
フォークリフトに乗ることも、もうなくなってしまうんだな…。


8月26日(月)
日テレ“ナイナイサイズ”にてナインティーンナイン岡村氏と共演という企画。
今日流れましたとの連絡が留守電に入る。

“強い女とデート企画”
だもんね。
私とはキャラが違う。

内心とてもほっとする。
また、SPA!の時みたく、自分と違うキャラを演じるのもな…と、ちょっと憂鬱だったから。

テレビの話どうなった?
って、聞いてくださったみなさんすみませんでした。
今回もまた流れました。


「なんでそんなとこ選んだの?」
「うるさくて狂いますよ〜」
「うわ〜最悪!」
今日、会社に行って新居について言われたこと。

幼稚園の隣に越すのがあまりに辛くなり、思わず解約は出来るのか?と、不動産屋に電話。

「敷金は戻りますけど、あとは大家さん次第ですね。こんな例は今までなかったし…」

木曜に具体的な金額を出すと言っていたけど、ざっと見積もって30万以上は損するのか…。

腹くくって、幼児地獄に身を任せるしかないかな。

今ね、家の前で向かいの家族が、目の前で花火している。
この周辺、河原や空地もいっぱいあって、わざわざこんな家の前でワイワイやることないのにな、って前から常々思っていた。
子供たちがはしゃいでうるさい。

だけど新居はこの何百倍も、うるさいんだろな…。

予行練習?

うう…。

試しに他の不動産屋に物件聞いてみたら、これまた辛いことに、四件も紹介してくれた…。


8月27日(火)
トラックドライバーを離れる間際になっても、私って“トラッカー”じゃないんだなぁ…と、しみじみ思う。

「とうとう張ったんだ」

みんなが19歳唐沢君のトラックの前で話している。
見ると、フロントガラスの下のほうに、びっしりフィルムが張られている。

「かっこいいですよね〜、私も張りたい〜」

23歳ミオちゃんが唸る。
彼女は昨日、ダッシュボードに“フリフリおてて”をつけたばかり。
「トラッカーよくやってるじゃないですか。前からいいなーって思ってて、とうとう買っちゃいました」
「あ、あれいいっすよね、俺もほしい」
25歳小崎君が相槌する。
「○○で売ってますよ」

え?なにその○○って。
「トラック用品専門店ですよ」

「これを張るとダッシュボードが暖まらないんでエアコンよく冷えますよ。ただ白線は見えるけど黄色い道路の線は見えないけどね」
唐沢君のフィルムを見て、35歳稲葉さんがあれこれ説明している。彼のトラックもまた、ハンドルカバーやなんやらでコーディネートされている。

わ、わ、分からない…。
ついていけないよ、その趣味…。

「このフィルム張るとさ、前方が全然見えないじゃん。すっごい邪魔なんだけど」
「なに言ってるんですか天越さん。かっこよければいいんですよ」
「かっこいいとは思えないぞ」
「確かにトラックの飾りって、実用性ないものばかりですよね」
「でも飾るの?高いお金出して?」
「トラックってキャビンでかくて中丸見えじゃないですか。それってイヤじゃありません?」

え?
なにが?

「女性がトラック乗ってると注目されるでしょ?」

そういう話、こないだラジオでもやってたな。
女性トラックドライバーに綺麗な人が多いのは、いつも注目されてるからだって。
私はそれを聞いていて、自意識過剰な連中め !、と、思ったんだけど。

「男の俺だってよくじろじろ見られてイヤだなーって思ってるんですから、女の人は大変でしょ?」

全然!
普通そんな見るもんなの?

昔中学生男子に呼び止められて、
「女の人なのに凄いですね!どこまで行くんですか?」
「世田谷だけど…」
「世田谷だったら環八使うといいですよ!」
なぜかアドバイス受けたことはあったけど…。

「ホーン鳴らされたりしません?」
「私なんか悪いことしたのかと思ってた」
「手ふられたりとかは?」
「後ろのクルマにやってるのかと…」

はぁ…。
みんないろいろ考えてるんだね。

私はトラックは、何も飾りのついてない、シンプルなのが一番素敵って思うんだけど。



幼稚園アパートキャンセル30万の損の話。
周囲の意見を聞いてみる。

「30万損するなら我慢して住みますよ」

そうだよね〜。
そうだと思うよ。
しょうがなく今日、不動産屋さんに電話した。

「すみません、契約このままでいきます」

ふぅ…。


8月28日(水)
いつになく、魔の水曜日が比較的楽に過ぎた。
内容は濃厚だったわりに、時間がかからなかった。
七時半には帰宅。
最後の魔の水曜日も無事に終わった。


「地獄からあと3日で逃れられるんですね、うらやましい…」
同僚のドライバー、稲葉さんがポツリと呟く。

じ、地獄?

「稲葉さんどうするの?もうずーっと前から辞める辞めるって言ってたじゃないですか」
「探してるんですけどね…。もう思い切ってどっか行ったほういいのかもしれませんね…」

ここ、楽だからな…。
尻込みする気持ちは分かるけど…。

「とりあえずどっか電話してみたら?」
「そうですね、ここより悪いところも少ないですよね」

みんなそんなに悲観してるんだ。
なのにどうして動かないんだろ?

私はそんなに悪いとこだとは思わないけど…。
ただ発展も向上も、新しい発見も、なんにもないところ。
惰性で毎日なんとなく過ぎていくところ。

「稲葉さんも焦ってるんだ。俺も焦るな」
小崎くんが我先に辞めるぞと、気をもむ。
「やっぱ誰か辞めるとなると、置いていかれたようで切なくなるんですよ。先越された〜、俺何してるんだろ?って」
「そーこー言って、君も冬までいるんじゃないの?ここの冬は厳しいよ〜。ここだけツンドラ気候だからね」
「やめてくださいよ〜。絶対その前にやめてやる」
「冬までいたら、小崎人生始まって以来の屈辱的な言葉を、指差しながら連発してあげる」

それにしても、この会社って、本当みんなに愛されてないのね…。
どこでも社員が会社に不満があるのは当たり前だけど、ここまで嫌われた会社もめずらしい。

これは半年もしたら、現メンバーが総入れ替えになるかも…。

それでも何事もなく、ここの会社は淡々と流れてく。

つまり、そういう会社なんだよね。


8月29日(木)
私の仕事のコースは二通りある。
ひとつは問屋周りのレギュラーコース。
これは月、火、木と走る。
もうひとつが病院周りで水、金。

今日は問屋周りのコースのラストラン。
気合を入れていきましょう。

一件目のKに7時に着く。
ここの検品のハゲのおっさん。無愛想かつ細かくてうるさい。
あいさつしてもしてくれない、とっても不快なおっさんだった。
いつものように降ろしした荷物をパレットに積み、検品をしてもらう。
必要なことしか話さない。
ハンコをもらって伝票を受け取る時。
「今日で最後なんです。今までお世話になりました」
そっとハンドタオルの小袋を差し出す。
鬼のような顔がパッと明るくなって突然微笑みだした。
「え?そうなの?いやいやいや、お気遣いありがとう。どうしたの?会社も辞めちゃうの?」
「はい、独立して仕事をしたいと思っているので…」
一年近く顔をあわせていて、こんな話をしたのははじめてだ。
「そうなんだ〜、すごいねぇ、頑張ってね」

底知れぬ爽快感が私を襲う。
あんな頑固じじいだったのに、最後の最後でこんな笑顔を見れるなんて、ちょっとうれしい。


次のUへと行く。
ここのメガネのおっさんも、K同様あいさつもしてくれない変わり者。
突然不機嫌にクドクド言ったり、かなり苦手な人だった。
「今日で終わりなので…」
ハンドタオルを差し出す。
「え?いいよいいよ! そんなことしなくて!」
「いや、ほんの気持ちなので…」
「いいっていいって」
意外そうな顔で小袋を振り払う。
う、なんかイヤな感じ。

なんとか渡してトラックに引き上げる。
まったく最後までここのおっさんは不快な人だったわ…。そう思った瞬間、おっさんが駆けつける。
「いきなりだったからびっくりしたよ〜、今までありがとう、お疲れ様。なに?結婚でもするの?」
「いや、やりたいことがあるので」
「そうか〜、頑張ってね〜」
これまた今まで見たことのない笑顔を見せてくれた。


三件目のNは荷受けが特にない普通の会社なので、いつものように納品して、なにも言わずに去ってきた。


四件目のS。
「さー、おねぇちゃんの分が終われば仕事一段落だー」
荷受のおじさんがトラックに近づいてくる。
「ちょうどよかった。私今日でおしまいなんで…これ、今までお世話になりました」
「え?結婚でもするの?」
「違いますよ、新たな旅立ちです。明日からまた、前このコースやってた子が来ますから」
「え?どんな子だっけ。もう忘れたな」
「ものすごく美人で綺麗な子です。安心してください」
私が辞めたら、以前このコースを走っていて、現在2tのコースをやってる23歳ミオちゃんが再びここに戻る。


五件目のT。
私の本を買ってくれたおじさんにあいさつ。
「君だったらどこにいっても大丈夫だよ。本もしっかり読ませてもらったからね!」

Tの方々はTVで偶然私を見て、(ドリームプロジェクトで)私が世を忍ぶ仮の姿が医療器具の配送員であることを知った人たち。

荷受の、巨体ながら物腰の柔らかい、品のいいおにいちゃんにあいさつ。
「ホームページやBBS、見ますからね!」


ここでいつもなら、六件目に向かうところだが、今日はスタンドに寄って、洗車をする。
新車でもらって、とりあえず一年近く乗ってきたトラック。あまり思いいれはないものの、もうすぐミオちゃんに受け継がれる。
その前に綺麗にしておかなくちゃ。

給油中、ハンドタオルにつけるお礼の手紙を書いていると、突然誰かがドアを叩く。
いつも納品先で会う、クマ五郎風の他社のおにいさんだ。
常に腰が低くてニコニコ笑い、納品中もいろいろ気遣ってくれた人。
「こんなとこで会うとは思わなかったな〜」
「ちょうどよかったです。今日で私終わりなんですよ。今までいろいろお世話なったんであいさつしたいと思ってました」
「え?本当?!辞めちゃうんだ。これからOに向かう途中だったんだけど、タイミングよかったね〜」

「何も出来ないけど…」
と、お茶を一瓶置いていってくれた。


六件目のOに着く。
さっきのクマ五郎さんは一足先に着いて降ろしている。
いつもの荷受のおにいさんたちがいない。
仕方ないので他の人に言伝をする。
「今上で作業してるんだよ。誰に渡すの?」
「いつも荷受けしてくれるおかっぱのお兄さんと…」
と、言った途端、そのおかっぱ兄さんが現れた。
ヤバ。
今、おかっぱって言ってたの、聞こえたかしら?
前もこの人には暴言吐いて、不機嫌にしたことあったんだよな。
「辞めちゃうんだって」
「なんだ〜もっと早く言ってくれたらケーキでも用意したのに」
本当かよっ。


七件目のHは荷受とはほとんど接点がなかったため、いつものようにこなして終える。


八件目のF。
ハンコをくれる受付のお兄さんにあいさつ。
「以前来ていた彼女がまた来ますから」
ミオちゃんいわく、このお兄さんはミオちゃんがお気に入りらしい。
さぞうれしいことだろう。

もうひとり。
いつも検品してくれるフォークのおじいさんにあいさつに行く。
かなり偏屈な人だけど、一番お世話になった人だ。
忙しそうに他の人の検品作業をしている様子。
作業が中断したところを見計らって声をかける。
「すみません、忙しいですか?」
「なに?」
「私今日で終わりなんで、あの、これ、お世話になったので…」
「いい!そんなもんいらないっ!」
明らかに不機嫌な顔できつく言い放つ。
「いや、本当気持ちだけですから…」
「いらないったらいらないっ! はいはいお疲れさんでした。いいから帰りな」
「いや、でも…」
出したものを引っ込めるなんて出来ない。
まして誠意をこめて用意した品。
受け取ってもらってなんぼだ。
「こういうことしないでくれる?もう分かったから。忙しいからいくよっ」
鬱陶しいといった様子で去っていく。

ポツンとひとり、取り残される。

喪失感…。

な、なんでそんなに意固地なまでに拒否するの?
まるで私が悪いことしたみたいな言い草…。
トラックに戻ると不意に涙がじわり。
圧倒的に責められて、ちょっと感情的になったみたい。
たいしたことじゃないんだけど、どうってことないことなんだけど、一方的に誠意を拒否されるって、こんなにショックなことなんだね。


12時過ぎに配送を終え、まっしゅの待つ我が家へ。
はい、まっしゅ。
♪ゆったりたっぷりのーんびりっ
まっしゅと遊んでいると嫌なことも忘れる。

1時半から積み込みなので、昼ごはんを食べて会社へ。

「明日は楽なコースですもんね。大変なのも今日までですねぇ、いいなぁ〜」
小崎君が伝票を整理しながら話してくる。
「あのさ、今日お世話になった人たちにあいさつして粗品渡してきたのね。そしたらそのうちのひとりが、ものすっごい勢いでそれを拒否するの。遠慮っていうんじゃなく、不快っていうくらい。なんか自分がものすごくいやらしいことしたようで、すっごく哀しくなったんだけど…」
「その人不器用なだけなんじゃないですか?それか天越さんをものすごく嫌ってるか」
「うーん、確かに偏屈な人だけど。嫌われてるのかな〜」
「それより拒否されたならそれ、俺に下さいよ」


明日のコースは病院周り。
こっちのコースは極度に荷物が少ない。
なのでとっとと積み込みを終え、その日一番の物量の、小崎君のコースを手伝う。
火曜と木曜はいつもこんな感じ。
小崎くんのコースの、先代のドライバー有賀さんの時からこの方式は受け継がれてきている。
「天越さんいなくなったら、誰も手伝ってくれなくなるな」
「ふふふふふ。もうこのせせこましい検品ともおさらばよっ。あれ?まだこんなこと続ける人いるんだ?」
「すっげぇヤな感じ〜」
「“ウロトピック”とか“シュアーフロー”とか、一生もう口にすることもない言葉だよね」
それらは医療器具の名前。
「パクっていきたい物ない業界ですよね」
「ん?」
「普通辞めるとなるといろいろパクっていくでしょ?でもここで“ネオプラスター”とか“ピストール”とか盗んだって意味ないっすもん」
「普通盗まないって」
「俺前板金屋辞める時なんかバリバリパクりましたよ」
「君と一緒にしないでくれ」
「でも引っ越したら誰も友達いなくなって寂しくないですか?」
「田舎出てきた時と一緒だもん。そんなに気にしてないよ」
「俺なんかこっち来て友達いなくて困ってますもん。逆に天越さん行くほうに友達いっぱいいるんだけど。紹介しましょうか?」
「小崎くんの友達?悪いこと教えられそうで怖いわ〜。根性ヤキとかされない?シャブの打ち方とか、闇取引の方法とか教え込まれない?」
「人をなんだと思ってるんですか」


「天越さん明日で終わりですね〜…」
羨ましそうにため息つくのは森本レオ口調の稲葉さん。
「今回のガテンいいのありました?」
「う〜ん。あったにはあったんですけど、契約社員なんですよ。年齢考えると次はしっかりしたとこ行きたいし…」
なかなかうまくいかないよう。


ドライバー仲間にも、一日早く粗品を渡す。
明日渡せなかったら困るから。
他の人たちは同じくハンドタオルを。
小崎くんには昆虫標本セット。
ミオちゃんにはセーラームーンとハリケンジャーのハンカチ。

仕事終了後、小崎くんからメールが入る。

“OJM同盟会長様

 おつかれさまでした。
 俺、めちゃめちゃ虫マニアなんですよ。
 ありがとうございました。
 ていうかマジびっくりしました。
 きっといつか愛する虫をいっぱい段ボールにつめて新居に送ります。
 明日の最後配送、安全運転で頑張ってください!”

あら。
受け狙いだったのに本気で気に入ったみたいだわ。

(ちなみにOJMっていうのは、「親自殺未遂 」の略なのだ。)

明日は10年続けたドライバー人生のラストラン。
いよいよ、これで本当に最後。

有終の美を飾ります。


8月30日(金)
もしも私の人生すべてを、自伝として書いたとしたら、今日は何章の終わりなのだろう。

そして明日は何章の始まりなのだろう。


今日の病院周りは2件だけの配送。
昨日上司に、
「昼にトラック乗り換えて」
と、言われたため、12時に会社でミオちゃんと待ち合わせる。
だから実質、それまでが、こいつは私のトラックなんだ。


19歳で上京し、生活のため、仕送りのため、そして"なにか"を探す手段として、ドライバーという道に入る。
あくまで生活手段のためであったのに、仕事の魅力にどんどんはまり、軽ワゴンの弁当配送から、なぜだか大型まで乗ることに。

いろんなことがあった。
いろんな出会いもあった。
(詳しくは“道はひとつじゃないから”で)

ドライバーという仕事は、何も出来ないちっぽけな私に、生きる自信と広い視野をくれた。

トラックで走っているとね。
突然街を抱きしめているような…空を飛んでいるようなハイ状態になる時がある。
風景と、一体になる瞬間。
その瞬間がとても好きで、大好きで。
涙が出るほど生きているのがうれしくなる。

番長三上氏はトラックドライバーの自分を“陸のパイロット”と呼ぶ。
私は深く共鳴する。

私にとってトラックは、ただのトラックではなかった。
無限の世界を自由に走り回れる不思議な乗り物。
運転というより操縦。
そう、私は大きな乗り物を、小さなこの手で操縦していた。

キャビンから見える景色は、乗用車のそれとは異なって見える。
すべてが自分に語りかけてくるような感覚。
周囲が自己主張して、私に語りかけてくる。

“トラックドライター”ってね。
トラックに乗ってるライターじゃないの。
トラックのキャビンで感じるその、なんともいえない視野の違いを、感覚を、表していきたい。
トラックによって磨かれた自分を表現していきたい。

だから私がドライバー辞めようと、私は永遠、“トラックドライター”であると言い続ける。
(ホームページのコンセプトにも書かれたように)

私はこれからも、“トラックドライター”。



去年の夏、ライターの夢に本格的に向かう前に、ドライバーとして最後にどうしても挑戦したいことがあった。

“コンサートツアードライバー”

体力やあらゆる面を考えて、それは明らかに無謀と思えた。
痛いほど私にも分かっていたけれど、挑戦せずに辞めることほど、哀しいことはないでしょう?

結果は目に見えていたのだけど、私は必死で飛び込んだ。
一度セクハラで泣く泣く辞めた記憶すら、その勢いに拍車をかけた。

そして、一ヵ月で見事敗退…。
体も心もボロボロに。

でもね。
ちゃんと私は挑戦したんだ。
そして、ひとりでツアーもこなした。
ライブハウスのショートツアーだったけど、天下のポールウェラ氏の、ワールドツアー日本公演を、成功させたのは私も一枚噛んでいる。
慣れない垢抜けた業界で、楽屋で小さくなる私を、励ますために肩を叩いたポールの優しさを忘れない。

下っ端だったけど、B'zのドームツアーにも同行した。打ち上げで生稲葉氏&松本氏に会うことも出来た。
初の仕事が高校時代のお気に入り、ジプシーキングスで、楽屋で生唄聞いたことも、とても稀少な体験だった。
元J(S)Wのジュン太氏のギターも運んだし、バクチクの台湾公演の機材を運んだのも私だった。



ツアードライバーを辞めた後。
生活のためのドライバーに戻ることになる。
だけど今度は今までと違う。
“ライター”という具体的な活動の場面があるのだ。
そのため私は、ドライバーとして本意ではない、“ルート配送”の仕事を仕方なしに選ぶこととなる。
ドライバーとしての、発展や向上はもういい。
ツアードライバーで、私のそれは終わったのだ。
今度は本当にライターに、夢に本腰入れて向かうため、時間が読めて、比較的楽なドライバーを選択すべきと思っていた。

ルート配送…単調が嫌いな私が、もっとも苦手な仕事。
「私絶対3日でやめたくなる〜!!」
周囲に漏らしていたくらい。
地図が相棒のチーザーな私が、地図も持たずに走る毎日。
それはある意味地獄だった。
だけどなにかを得るには、なにかを犠牲にしなくてはいけない。
今までみたく、ガムシャラに、ドライバーという仕事に情熱傾けていると、物書きどころじゃなくなるのだ。どっかで見切らなきゃ、仕方のないことだと観念した。

「3時くらいにはあがれるから」
面接のその言葉を信じ、運送業界では異例の週休二日の、医療器具を運ぶ会社に入社する。

ルート配送の会社のドライバーってね。
(これは私の経験だけなので、一概に言えないことですが…)つまらない人が多いんです。
決まった仕事を決まったように淡々とただ続けてく。二言目には
「やっても給料変わらないし」
向上とか、発展とか、頑張りとか、努力とか、そういったものから無縁な仕事。

仕事は楽だった。
医療器具は比較的軽く、ルートもほとんど知ってる道ばかり。
だけど入社してすぐ、荷主が持ち込みのドライバーを切り、全車うちのトラックにした時から状況が変わった。
つまり、うちの仕事量が倍に増えたということになる。
3時に帰れる?
そんなの夢のまた夢。

残業残業の毎日。
15時間労働あたりまえ。
そのほとんどが、走っているのではなく、検品作業という実態。

そんな中でも週休二日の特権を利用し、出版社に売り込み活動。
出版社関係はほとんど土日は休みなので、もっぱらネットや郵便で企画書を送る。
企画が気に入られ、出版社に打ち合わせにいく。
ところが。
「平日動けないとね…」
本末転倒。
身もフタもない…。

転職を考える。
朝早くてもいいから、3時頃にはあがれる仕事。
求人誌をくまなくチェックし、いいのが出るのをひたすら待つ。

周囲のドライバーも、いつでも転職を希望している。聞くとみんな、ドライバージプシーを繰り返している。
「嫌なとこだったらすぐ辞めちゃうよ」
ツワモノになると実に2、30件もの運送屋を転々としている人も。
そういうのが、許されちゃうのがまたこの業界なんだよな…。

ふいにふと考える。
私は彼らと志は違う。
だけど結局はおんなじこと。
なんらかわらないドライバージプシー。
こうしていいところがあるまで私は、転々と会社を変えていくの…?

そんな時、我が家にまっしゅがやってくる。

まっしゅの購入手段に選んだのは、ブリーターさんと家庭を結ぶ仲介業者。
ペットはペットショップで買うものではないという常識は、本当のペット好きなら知っているはず。
ペットショップという、展示販売はペットにとても負担がかかり、また状態もとても良くない。
病気にかかる確立も大きいし、売れ残ったペットの行く末など哀しい結末が待っている。
つまりブリーダーさん直が一番。

だけどその、的確なブリーダーさんの情報を私は知らない。
ましてミニチュアシュナウザー。
どこにでもいる犬種じゃない。

ネットを通じて探してもらい、条件に一番合った犬を紹介してもらえる。
不安はあった。
なんせ一度も会わずに決めるのだ。
愛せなかったらどうしよう。
仲介業者さんの、
「任せてください、大丈夫です。本当に信頼のおけるブリーダーさんですから」
その言葉だけが頼りだった。

そして仲介業者さんの手で、甲府生まれ、九十九里経由のまっしゅが我が家にやってくる。
「道に迷いましてね…」
ゴールデンウィークという一番忙しい時で、彼もあたふた忙しない。一通り説明と手続きを終え、足早に去っていく。
「これから羽田に犬を引き取りにいくんですよ、もういそがしくってね」
地図を忘れて困っているというその中年男性に、私は道を説明する。

可愛くじゃれるまっしゅを腕に抱き、おじさんが去った後考える。
甲府から九十九里、羽田に急いでまたお届け。
まるで運送屋みたいだな…。



まっしゅのしつけと生活に追われ、そのことは忘れていた時のこと。
いつものように求人を探す。

一体私はいつになったら、海の見える丘でヒゲの似合うマスターになれるのだろう?
働けど働けど…一日18時間働けど…。
貯金が増えることはない。
じっと手を見る…。

店を出すなんて、まだまだ遠い将来の夢だけど、一体どれくらい稼げば独立出来るものなのだろう?
そう考え、何気なく見た“独立開業マガジン”

“子犬仲介業で独立”
あ。
これってあのおじさんがやってたヤツだ。
ふむふむ。
時間が自由に使えて副業もO.K…。
犬にとって負担もかからず最善の方法…。
犬が大好きで道に詳しい私にとって、この上ない魅力的な仕事。
気付くとホームページにアクセスし、資料請求していた。

「あなたが住んでいるエリアにはすでに開業しているので…」

断わりのメールが届く。
んじゃ、開業してないエリアに引っ越すってんじゃどうよ!?

とにかく資料よこせー!

数日後には本部に行って説明を聞いていた。

「引っ越ししてやるなんていうから、なんなんだそれはって思っていたけど、あなたに今日会ってよく分かった。思い切りのいいおもしろい子だね」

同じ東北出身で話が盛り上がる。
なにより商業主義ではなく、犬が好きだという情熱が伝わってくる社長の人柄が印象的。
まっしゅの話をすると目を輝かせて話に乗ってくる。
「とにかくペットショップという販売方法を廃止したいんだ。そんな虐待に近い方法をとっているのは本当に極一部の国だけなんだよ。イギリスのほうだと、本当に犬を飼う資格のある人に、ペットショップが私たちのように仲介してプリーダーさんを紹介するんだ」

犬のこと、本当に好きなんだね。
話していてとても気持ちがいい。

このまま惰性でドライバーを続けていくより、独立してフリーでやっていくほうが、これからの私にとっていいのではないか…。
それにこの仕事は、今まで私がドライバーとして培ってきたものが活かせる仕事。
そして横暴まっしゅの教育上、私は必要以上に犬学に最近どっぷり浸かっている。
その経験も、きっと役に立つのでは…。

考えて、考えて…。

私は海の街に引っ越し、独立開業することに決めた。

なにも知らない街で、なにも知らない世界に飛び込む。
それは無謀でとても怖いことだけど、今は楽しみでしょうがない。
一体どんな未来が、どんな出会いが私を待っているのだろう?
また新しい道が、私の前に広がっていく。



「天越さん早かったですね」
トラックを乗り換えに、お昼会社へと向かうとミオちゃんがすでに来ていた。
ご飯を食べるため、しばし事務所で話し込む。

「ミオちゃん転職考えてないの?」
私が入った約一年前、彼女は大型を取ってこの会社を辞めようとしていた。
にもかかわらず、まだ、ここにいる。
「なんだか面倒くさくって…」
「若いのにもったいないなぁ」
「…私、本当やる気ないんですよ。もう嫌なるほど無気力で。そういう自分ダメなの分かってるんだけど…」
「…」
「苦労するの嫌なんです。他の会社いったらまたいろいろ1からでしょ? ここは慣れてるし気楽ですもん」
「若いうちの苦労はいいもんだよ。後からすべて楽に思える」
「でも…私はしたくない…。天越さんは凄いです。なんか天越さんはそーゆーの普通だと思ってるかもしれないけど、天越さんみたいな人なかなかいませんよ。私の周りはみんな私みたいなのばっかり」

私の周りは…それぞれに自分の世界で必死に生きる熱い人たち。
私が恥ずかしくなるほど、彼彼女らはひたむきで…。
私なんてなにも凄くない…。

「ミオちゃんは頭もいいししっかりしてるし、どこにいってもバリバリやれそうなのに…」
「なんでそんなに行動力あるんですか? 私は地元で楽してたいし、とくに夢なんてないし…」

事務のおばさんが入ってきて会話が中断。

ミオちゃんにトラックを引渡し、私はTOPPOで倉庫へ向かう。
あっけないもんだ。
22699キロ。
私はこのトラックと共にした。

私のドライバー人生、最後のトラック。
ふそうファイター。


ミオちゃんに渡されたプレゼントを開けてみる。
ゲ!
以前辞めたプーさんそっくりなドライバー有賀さんに、私があげたのとおんなじプーさんの筆立て。
有賀さんとオソロだよ〜。
中に手紙が入っていた。

“天越さんへ
 短い間でしたが大変お世話になりました。
 私、天越さんみたいに強烈なインパクトのある方
 生まれて初めて出会いました。たまにはメール
 送りますから、私のこと忘れないでくださいね。
 天越さんの仕事がはかどりますように、の願いを
 こめてペン立て贈らせてもらいます。
 コタロウ君を飼う時はぜひお願いしますね”

コタロウ君とは、彼女が飼いたいと願うマメ柴の架空の名前…。

強烈なインパクト、か…。



倉庫に一足早くついて、事務員さんにあいさつ。
バイクを譲ってくださる倉庫作業員さんと打ち合わせ。
「九月中には引き渡せると思うよ」

遅れて入ってきたミオちゃんのふそうファイター。
ハンドルカバーやシフトノブ、クッションなどが配置されたそのクルマは、さっきまで私が乗っていた、無骨なそれとは違っていた。
30分で、もう、すっかりミオちゃん仕様になっている。

「写真撮らないんですか?」
小崎くんが気遣って言う。
「看板車だからいいよ。それにもう、ミオちゃんのクルマだもん。過去のもんには興味ないわ」

一通り検品積み込みを終えた頃、事務員さんの、一番怖いおねーさんが、花かごを持ってやってきた。
「お疲れ様でした〜頑張ってね〜」
うわ〜!
こんな立派な花!
いっつもミスをフォローしてもらっていて感謝感謝でした。

隣で見ていた小崎くんが申し訳なさそうに言う。
「天越さんすんません、俺なんにも用意してなくて」
「なにいってんの、君にはこれからいろいろしてもらう予定なんだから」
「そーっすね。これで終わりじゃないっすよね」
「私が海の見える丘でヒゲの似合うかっこいいマスターになった頃、“ウロトピック”や“コアレスセット”の話で盛り上がる役は君以外誰がやるのよ」
「いいっすよね、日常に“フローマックスくらいの大きさ”とか“EDセット24個分の広さ”とかさりげなく使うの」
「誰もわからない」
「将来の楽しみ増えました」

みなさんとお別れのあいさつをして、TOPPOに乗り込む。

涙もなにもない、ただ妙に清々しい終わり方。
これで本当に、本当におしまい。

この道もきっと、もう通らない。

ありがとう。
でも、さよならはいわないよ。

新しい旅立ちには、すべて今までのことがつながっているから。

今の私がいること。
すべて今までの私が積み上げたもの。

だからそれらがみんな、これからの私の道を作る。

トラックドライバーとして、10年いられた自分がとても幸せです。

ありがとう。
ありがとう。

トラックドライターそらしどは、トラックを降りても永遠です。

これからもまた、よろしくお願いします!


8月31日(土)
朝目が覚めて、それがいつもの土曜日じゃないことを噛みしめる。

私は今日から“運転手”じゃない。

おとうふのみそ汁を作って朝食を取る。
いいね、こういうの。
これからは煮干でダシでもとって、毎朝みそ汁作ろうかな?

引っ越しの梱包作業に取り掛かる。
まずは日常品のない二階から。
タンスに入った衣類を段ボールへ…。
まっしゅが絡み付いて邪魔をする。

それにしても、私の家は、なんでこんなに物が多いの?!
なにこのCDやレコード、テープの数!
なにこのおびただしい本の量!
無料段ボール50枚じゃ、とてもおさまりそうもない。
気が遠くなるほどの作業にめまいがする。
本当に引っ越し出来るのか?

10箱ほど作ってヘトヘトになり、一旦下に下りて休憩。
携帯を見ると小崎君からメールが入ってる。

“おはようございます。もう検品なんてしなくていい開放感でいっぱいでしょう…”

“検品どころか梱包作業でテンテコマイだ。アリメバックより重い箱が次々に出来るよ”

とりあえず、医療器具名を使用した日常会話を軽くかわす。

王様のブランチなぞを見る。
ヘロヘロしてると電話が鳴る。

「○○動物病院ですけど、まっしゅ君のフィラリアの薬取りに来て」
至急シャワーを浴びて取りに行く。
(陸軍移動外科病院参照)
この病院とも、今回でお別れ。

家に戻って梱包作業を続投すると、またまた携帯が鳴り出した。

“山田益三”

「お前今なにしてるの?」
「引っ越しの梱包してますけど」
「んじゃちょっと時間作って出て来い。近くまでいく」

山田とは三年以上の付き合いになるけど、出不精な彼は私の街には来たことがなかった。
山田の家から私の家までは、クルマで30分ほどの距離なのでたいして離れてないのだ
が、橋の向こうとこっち側。
「橋の向こうは未知の世界だから迷うからいかない」
20年以上ドライバーやってるとは思えぬ感覚の持ち主。

その山田が直々に、私を迎えにくるとはね。

近くのインテリアショップの前で待ち合わせ、山田の助手席に乗る。
「このへんで大きな花屋を教えろ」
唐突に言い放つ。
私がよく利用する、フラワーショップに案内する。

「黄色いランみたいな花なんだよ…」
なにかを探している様子。
「とりあえずお前、なんかほしい鉢植え探しておけ」
「は?」
「卒業祝い兼引越し祝いだよ」

突然言われて私も慌てる。
ほ、ほしい鉢植えって言われても。
うちにはすでにパキラとポトス、そしてサボテンたちがいるし…。
「遠慮するな。確かに金はないけどな」
それじゃ、以前枯らした幸福の木でも買ってもらおうかな。

外のガーデンで山田がなにかを見つけてくる。
「これだよ、これ。お前神社に八方除けしてきたんだろ?風水といやぁ西に黄色だろ?これを探していたんだよ」
ランのような小さな黄色い花をつけた鉢植えの札には「宝」と書かれている。

“華やかに目を引く黄金は、一日の収穫を現す夕日の色、黄金を象徴するとして注目を集めています。今話題の風水では人々の心を和ませる黄色い花または黄色いものを夕日の方角である西側に飾ると、金運財運が上昇すると言われています”

「へー、この花“宝”っていうんだ。益三よく知ってたね」
「こないだ花屋で見つけてさ。これでお前の商売繁盛間違いなしだろ?あっちの幸福の木とふたつでパワーばっちりだ」

これまた幸福を呼ぶと言われるふくろうの模型のついた、幸福の木の鉢植えも購入。

凄い凄い。
エンガイなんて怖くないぞ。
山田の心遣いがあまりににくい。
心強いパワーが私の行く末を照らす。


「もう君とも会うことはなくなるし、最後なんだからこの辺で行ってなくて心残りな店に入ろう」
「最後だとは思ってないんですけど」
「今までみたく、すぐそこにいるわけじゃない。俺も暇人じゃないし出不精だし。下手すりゃ一生会わないよ」
寂しいことを言われつつ、ちょっとシャレた中華料理屋に入る。

人生、世代論、男とは女とは、文学とは、文化とは。
いつものように激しいトークバトルが始まる。
私たちはいつもこうして、シラフと酒豪のコンビで、朝までいろいろ語り明かした。
仕事の終わりにラーメン屋で、ファミレスで、居酒屋で…。
何度も何度も。
親子ほど歳の離れたふたりなのに、いつでも対等に議論を交わした。

いつになくビールのピッチが早い山田。

「お前は自己中なんだよっ!」
「俺お前は絶対幸せな恋愛出来ないと思う」

執拗なまでに私に不快にカラむ。
ザル状態に近い、劇的に酒に強い山田が、こんなに酔うのは初めてだ。
意地悪なまでに痛いところを攻撃してきて、私は何度も泣きそうになる。

「そんなこと言われたくないよ…」
「そうだと思うから言ってんだよ!」

トイレに立つ山田のふらつく足元に驚く。
何度も一緒に飲んでるのに、こんなに乱れた山田がいることをはじめて知る。

6時間経過し、店を出る頃はすっかり暗くなっていた。現在午後7時。
「2時には帰る予定だったのに…」
「無理だよ。私と会って1時間で済まそうなんて」

家の前にクルマをつける。
幸福の木と宝の鉢を玄関まで運んで、私は山田を見送りに。

「元気でな…」

ふいに山田が私を抱きしめる。

手すら触れたことのない、潔白な私たち。
下世話な世間はふたりを“不倫”と噂したけど、私たちはそんなのまるで気にしなかった。
そんな低いレベルでの、付き合いなんかじゃなかったから。

熱い、父なる抱擁…。

山田のその、友情とも、恋愛とも、親子とも違う、なにものにも例えられない愛情を感じる。

お互いを讃えあう、ハグのような優しい行為…。
それはとても自然だった。

「俺はお前に会えて変わったよ。50年以上、平凡な日々をなんの疑問も思わず生きてきたのにな。とても感謝しているんだ」


またね、と笑顔で山田を送る。

玄関には幸福の木と宝の鉢が私を待っていた。

なんの涙なのだろう?
まっしゅを抱きしめ私は泣いた。